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オーストリア消防局編
国際消防情報協会 企画調査員 神谷 早苗

歴史・習慣

世界的な音楽家の出生国として有名なオーストリアは、1808年“運命は、かのごとく扉を叩く”といった有名な動機が全曲を支配している、ベートーベン交響曲、第5番、ハ短調、作品67「運命交響曲」や1867年ヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツを代表する男性合唱曲「美しく青きドナウ」などの、数々の名曲が生まれ、なかでも、なぜか毎年大晦日に唄われる、ベートーベンの交響曲、ニ短調、作品125、1822〜24年作曲「第九交響曲」終楽章はドイツの詩人シラー(1759〜1805)の詩「歓喜に寄す」による独唱と大合唱をともない、170年以上たった今でも、世界中の人々の心に感動を与え、普段では感じられない、心地の良い動揺を与えてくれる。

オーストリアの多くの国民は“本物”を知っていると言える。どういう意味かというと、美術作品の彫刻、絵画、舞台劇をはじめ、この世に生まれてくる数々の生産品のなかで、彼らは“本物”しか注目しないし、自分の身の回りに置かない。

コピーや偽物を見分け、また、聞き分ける感性を持っている。どこからその感性が生まれたのか?ドイツの職人魂が彼らをそう育てたのか?とにかく、すべての物に対して、最高の物を創り出す。料理にしろ飲み物にしろ、徹底的においしいものを作る。

ウィーンに消防ヘルメットコレクターのマンフレッド・ミッシンガー氏という友人がいる。彼もイタリアのルスコーニ・サージオ氏と同様、京都市消防局の宮脇 健さんに御紹介いただいた、消防の世界をこよなく愛する人間のひとりである。彼はウイーン(むこうではヴィエンナという。)に生まれ、4世紀にわたり、家族代々消防人生を引き継いでいる家系に生まれた方である。

彼と一緒にヴィエンナの街を歴史探訪の散歩に出掛け、オーストリアが、18世紀ではオーストリア・ハンガリー帝国として、ヨーロッパ外交の中心部であったこと、ドイツ民族の移住地であったこと。1955年に独立し、オーストリア共和国となり、人口約800万人、永世中立国であることなど、まるで、歴史の教科書と一緒に歩いているほど詳しく、また、わかりやすく、彼の生い立ちから現在に至るまで、物語的に教えてくれた。

首都であるヴィエンナは、ドナウ川中流域に沿う経済・文化の中心地で、西ヨーロッパとバルカン諸国を結ぶ交通の要地。冒頭に紹介した世界的な音楽家を幾人も生み・育てた音楽の都である。

ヴィエンナ消防局に、1週間泊めていただいたが、客室はそこいらのホテルとは比べ物にならないほど、落ちついて、景色も良く、部屋の窓からは、さわやかな朝の木漏れ日が、やさしく頬をくすぐり、心地よく目覚めをささやいてくれた。この建物は、築600年という古さで、内部には、幅5メートルの、どうしてこんなに広い階段を作ったのだろう?と立ち止まってしまうほどの、とても広い階段があった。

各階の踊り場の壁からは、30cmほどの台が突き出ており、これは昔、水道管など無く、人々が水屋から水を買っていた頃、水屋が、背中に約30リットルの重いガラス瓶に入った水を背負い、最上階である6階の住人まで届けるのに、途中で用いた休憩台であった。

また、階段の壁の、ところどころに書かれた品のいい落書きは、150年前の音楽生の哲学的な詩と思うが、私をタイムマシーンに乗せて、そのころのヴィエンナの街を詩的に想像させてくれた。そして、もう一つ忘れられないのが、建物の中心部を貫く、300年前の木造のエレベーターである。上昇にしか使えないが、柱も箱もすべて木造で、手動ドアの取っ手からは、一体今までに何人の人が、これを触ったのだろうと思うくらい、さわり心地の良い丸さが、何とも言えない歴史を感じさせてくれた。

建物のまわりを散歩してみると、前の広場をはじめ、街のあちらこちらで音楽家のたまご達がバイオリンやフルートを奏で、ノスタルジックな雰囲気を醸し出してくれていた。また、600年前からある石造の教会では、ウィーン宮廷礼拝堂に属する聖歌隊であり、15世紀に設立されたウィーン少年合唱団のどこまでも透き通るような、まるで、薄いガラスに針で糸を通すような、神がかり的な美しい合唱を聴かせてくれた。そこから北に少し歩くと、1992年12月に、大火災を起こした貴族院があった。この原因は、議員達の晩餐会の際、全員が社交ダンスに熱中しているときに、テーブル上のキャンドルが、振動か何かで倒れたのが原因となり、大火災を起こしてしまったらしく、400年の歴史を誇る貴族の社交ダンス場としても有名であった。

この贅沢な環境に取り囲まれた、消防署の客室で、一日、日本円にして600円の宿泊料は安かった!!また、このお金は、建物の歴史保存のための、修復費として使われているということで、喜んでお支払いした。大きな通りに出てみると、1365年設立のドイツ語圏最古のウィーン大学があり、今でも、その当時の建物がそのままの形で使われている。消防局の2階には、おしゃれなカフェテリアがあり、朝7時から、なんとも味わい深いコクのあるコーヒーが飲める。また、これと一緒にいただいたチーズケーキが、これまた舌の上で芳香を放つように気品のある味で、両者の微妙なバランスの良さは、目を閉じて口に入れると、思わず鳥肌の立つようなおいしさであった。

消防局の前の広場は、毎週土曜日と日曜日に、どこからともなく古美術を積んだワゴン車が、20台ほど集まってきて、朝の7時くらいから骨董市が開かれる。また、同じ場所に7種類くらいのソーセージのつまみが売りものの、ワイン屋台がでる。ここのソーセージの中で、一番旨かったのが、見かけは黒々として、何か動物の糞みたいな格好のスモークソーセージであった。リンゴの木を燃やして、その煙で薫製を作ったそうだが、手にとって見ると、その香りの良さと言ったら、たとえ様もなく香ばしい、苦みの利いた甘い香りがした。おもむろにかじってみると、鰹節をかじったような味わいと舌触りで、ビールやワイン、ウイスキーのつまみにはもってこいの味であった。

私はここで、最初にビアジョッキ1杯のオーストリア産の白ワインを飲み干し、2杯目のコップを右手に、左手には30cmほどのスモークソーセージをもって、骨董品を見て歩いた。骨董市には、マヤ・アステカ・アンデスなどの古代アメリカ文明の遺跡から発掘された、建築物の柱のかけらや、ヒンズー教の神でシバの神の子の異称であり、象頭人身の単身と双身の男女和合の姿を表した歓喜仏(かんぎぶつと読む。日本では奈良県の興福寺にある。)など、世界中から集められた珍しい物ばかりが、たくさん売られており、なかでも、1620年代に作られた、真っ黒のやきもののオカリナが気に入って、値段を聞いたところ、日本円にして6000円と言われた。交渉して4500円まで値切ったが、長旅の途中でこわしてしまっては、オカリナが可哀想だと想い、とうとう買うのを断念したが、いまでも後悔しているほど、私にとっては珍しくお気に入りの物であった。

ウィーン消防局には、歴史博物館が隣接してあり、600年前の消防士の制服や消火用具、手動ポンプ車などが飾られ、ヨーロッパ消防の歴史を感じさせてくれる。

階段を上りあがるとすぐに火消しの道具達が、焦げ臭いにおいを残しながら、当時の姿をそのまま今に伝えていた。

ここのおみやげで、“消防士達の讃歌”と呼ばれるCDが売られていて、「さすが、音楽の都。ウィーン消防局のおみやげは違うなあ。」と感心してしまい、好奇心の強い私は、惜しげもなく買ってしまった。さっそく、マンフレッド氏の家に行って聞いてみたが、最初から最後まで、日本のソーセージのコマーシャルで、大きくて長いテーブルに、ドイツ人がビールジョッキを片手に横一列になって、肩を組んで唄っているシーンを思い出して戴ければわかるが、ただの酔っぱらいの集まりがワーワー楽しそうに唄っているだけだった。マンフレッド氏に、「これ一体、誰が作ったの?」と聞いてみると、自分の方に指を差して笑いながらウインクしてくれた。やはり、伴奏だけはミュージシャンで、あとは、ほとんどが、“本物”のウィーン消防士の酔っぱらい達であった。

消防グッズコレクターについて

マンフレッド氏が集めている消防ヘルメットの数は、なんと約500個!!。3LDKマンションの、室内の壁という壁に、隅から角まで、ギッシリとヘルメットが飾られてある。奥さん手作りの、オーストリア料理を呼ばれながら、いろいろと消防ヘルメットにまつわる話を聞いてみた。

奥さん曰く「とにかく、家中がヘルメット博物館みたいで、押入から戸棚まで、スペースというスペースに、ヘルメットが入っていますので、他の物を収納する場所が無くて困っています。」「このまま増え続けると、ヘルメットのために、家を引っ越すことになると思います。」と仕方なしに、“もう、どうしようもありません。”という、あきらめの笑いを浮かべながら答えてくれた。

私の左に座っていた息子さんは、「生まれたときから、ヘルメットに囲まれた環境で育ちましたので、今さら違和感はありませんが、特に興味はありません。」と、横に座っているおとうさんの、右手に持っているスプーンが、口に運びかけて、思わず止まってしまったのを気にもせず、ニコリともしないで、ハッキリと“このヘルメット達を受け継ぐ気はありません。”と言う表情で答えてくれた。

息子さんは、家族代々続いた消防家系に、まったく興味が無く、大学で天文学を勉強している。卒業後は、天文学者になりたいそうだ。私の知っている世界の消防グッズコレクター達のほとんどの悩みが、コレクションの後継者についてだと思う。自分の愛してきたコレクションが、自分がこの世から去った後に、どこに行ってしまうのかが、非常に気に掛かっていると思う。なかには遺言で、消防博物館に寄贈する人もいるだろうし、また、家族の意志で売却処分されるかもしれない。つい2年前、世界でもトップクラスの数を誇っていた、

ベルギーの75歳の消防ヘルメットコレクターは、消防職の経験はなく、潜水会社の社長であったが、退職をきっかけにそれまで集めていた750個のヘルメットを、すべて売却処分してしまった。ちなみに、その総額は1千万円に近かったそうである。ヘルメットコレクターの世界第1位は、なんと2300個のヘルメットを集めている、ニューヨークのコレクターであるが、どんな室内に住んでいるのか、想像しただけでも、“奥さんや家族が大変だろうなあ”と思ってしまう。私の住んでいるところから、車で3時間くらいのところなので、いつか機会があったら御紹介したいと思う。

しかし、何と言っても、コレクションと別れるときの決断は、大変難しいと思う。日本で、私が知っているヘルメットコレクターは、世界中のヘルメットコレクターに有名な、京都市消防局の宮脇健氏と福岡市消防局の中央署署長である、多々羅光男氏の御両名だけであるが、調べてみるとまだいらっしゃるかもしれない。消防グッズコレクターの世界は、とても幅広く、ミニチュアカー、ワッペン、アポロキャップ、制服のボタン、勲章、制服、制帽、手鳶口、写真、など様々な形で、消防の世界に深い感心と愛着を持って、それぞれをコレクションしてある。わたしもコレクターの一人であるが、私のコレクションは、世界の消防署の住所である。ちょっと変わっていると思われるかもしれないが、コンピューターのハードディスクにすべて収まり、場所をとらず、使い道が無限であるため、とても便利で、創造性のあるコレクションだと自分では思っている。

今までに世界5万6千署の住所を集めたが、はっきり言って、十分活用されていない。言い換えれば、持て余している。私の持っている消防情報を海外派遣研修などに、どんどん利用していただきたいのだが、こちらに問い合わせのある方のほとんどが、アメリカ・ワシントン州のシアトルをはじめとした、アメリカの大都市で、今までに、何人の方が視察研修に行かれたかは知らないが、もう少し視野を広げられたら、もっとおもしろい消防事情が視察できるのにと、紹介しながらも心の中ではそう思っている。

シアトルのシステムは確かに合理的で、日本にとって理想的な消防体制を持っているとは思うが、アメリカだけではなく、アジアをはじめ、ヨーロッパ、中近東、南アメリカ、アフリカなどにも研修に行って欲しいと思う。

確かに、他の人が行ったからと言って、自分の目で見なければ気が済まない方も、中にはおられるであろう。研修に行った人達が、自分の目から見た海外の消防事情を、近代消防誌に寄稿し、多くの人に目が触れる本誌を、未来における日本消防の意見交換の場として、“海外消防研究会”的性格の、横のつながりを持ったグループを設立できたとしたら、同じ場所に行くのにも、人とは違った質問をしようとか、マスタープランを聞いてみようなど“創造的になれる”と思う。さらに、21世紀の日本消防に、大きく貢献できる情報機関にも成長できると思う。

勝手なことばかり言っているようだが、私が日本を飛び出し、今日現在、アメリカにいるのも、何か外側から、日本消防に、お手伝いできることはないかと考えたからである。コレクターの話から、いつもの事ながら、話が脱線してしまったが、コレクターの中には、消防職員でない方も大勢おられ、その方達の消防に関する知識は、そこいらの消防職員よりも詳しく、世界の消防を御存知であり、広く深く研究されている方が多い。

アメリカでは今、“学問化の時代”と言われ、今までマニュアル化してきた社会システムを再編成し、創造的な社会に向けて再構築させるために、“国民一人一学問”といった言葉が叫ばれている。

“社会とは、違う知識を持った個が、それぞれの役割を果たしながら、よりよい環境を作る目的のために、構成されるのが理想的な社会だと思う。”上からの押しつけばかりでは、国民は育たない。

これからは偽物が姿を消し、口先だけで良いことを言っている人達が、住み難くなる世の中になると思う。“本質の時代”“真理の時代”とも言えるが、最終的には、そこに行き着くのではないだろうか?

消防グッズコレクターは、そういった“本物”がわかる人たちであると思う。コーヒーのコマーシャルではないが、“違いがわかる男の、、、。”というように、これからは、本物と偽物の違いのわかる人間を育てていく必要があると思う。“何に対しての本物か偽物か?”という疑問をもたれる方が多いと思うが、あなたの心が深く感動すれば、本物であろうし、そうでなければ偽物であると言える。

さらに、しつこく説明すれば、“物事に対する素直な感性を、ハッキリと正直に自分の方法で表現できる人間”が本物をわかる人間であると思う。

説明の付かない“ファジー”などといった言葉を、本物と偽物との判断が付かない言い訳に使うのは、もう通用しない時代である。また、英語が不得意なのを“島国だから”とか“単一民族だから”という言い訳で逃げるのも、もう終わりにして欲しい。

江戸時代の初期には、関ヶ原の戦いから、鎖国するまでの約40年間におよそ7万人もの日本人が、世界に向けて旅立ち、海外交易のために活躍し、オランダ語、ポルトガル語、スペイン語、英語などを独学で勉強し、次代を担う若者達も海外に進出しようと夢見ていた。

しかし、たった幕府の貿易独占統制のために、寛永年間(1624~1643)に繰り返し鎖国令が公布され、オランダと中国とだけ通商し、その時代の若者の夢まで根絶やしにしてしまった。それ以前の日本人は、もっと好奇心が強く創造的な国民であった。そのころの人々は“島国だから”“単一民族だから”という理由で、それを逃げる言い訳にするのではなく、刺激として海外へ飛び出していったのである。

今また、“生かさぬように殺さぬように”といった規制を市の外郭団体などの財団法人が作り、市民に多額の手数料を請求するといった、武家中心社会の再現をするのは、はたしてどうかな?と思う。

なんだか、まとまりのない説教っぽい文になってきたが、周りに日本人がおらず、話す機会もないので、ついつい母国のことを考えると、口数が多くなってしまった。こちらの事情を御察しの上、ご勘弁頂きたい。私の勝手な意見を優しく理解してくれる、近代消防社の編集部のスタッフのみなさんにとても感謝している。読者のみなさんも何か、自分の気付いた意見を匿名でもいいから、寄稿して、消防の活性化の場をお互いに築いて行けたらと思う。

消防をこよなく愛する人たちの集まり、それがコレクションを通じてでも、本誌を通じてでも構わない。手段は読者の方の自由であるが、とにかく消防人生に対して“本物”の姿勢、見方で生き抜いて欲しいと思う。偽物はいつか必ず、崩壊する。

消防事情

オーストリアの消防は、九つの県に別れている。なかでもチロルの山々に囲まれた、インスブルッグ消防局は、スイスのレガに並ぶ山岳救助隊を持っている。(余談であるが、インスブルッグにはドラキュラが住んでいたお城があり、世界でひとつと言われるドラキュラの肖像画がある。)山岳救助隊を組織しているのは、オーストリア軍のチロル部隊で組織するボランティアのオーストリア軍に所属する消防隊で、毎月2回、4000m級の雪山登山、スキー訓練、山岳救助犬とヘリコプターを使った遭難者救出訓練、雪崩発生予想箇所の調査などを行っている。

ここの署長であるガンター氏の身長は、2m8cm、副所長のワルター氏が2m3cmと、巨人の惑星から来たような御両名であった。彼らが年間の行事計画の中で、いちばん重点を置いているのが、雪崩危険個所および登山ルート調査で、毎年、インドあたりから、観光登山に訪れる学生パーティ達が、必ずと言っていいほど雪崩にあって遭難しているらしく、雪山登山経歴4〜5年くらいの若者が、毎年、命を落とすのが、非常に残念だと語っていた。

オーストリア消防の大きな特徴のひとつは、活気あふれる少年消防隊の存在であろう。現在、オーストリア国内には、12歳から16歳までの約1万3千百人の少年消防隊員達が、地域奉仕活動を行いながら、未来に向かってさまざまな消防技術を勉強し、訓練している。

ここでは、毎年1回全国少年消防士による消防操法大会が行われており、日本と全く同じ操法の可搬式ポンプ操法や障害物競走、ボートによる障害物を突破しながらの渓流下りなど、大々的な行事となっている。彼らは、発展途上国に対する募金活動も行っていて、主にアフリカの同じ年代の子供たちに、食料や着る物を送っている。中には文通している子もおり、同じ時代に生まれながらにして、運命の境遇を痛感している子供もいた。

おわりに

世界の消防士には、いろんな趣味をもっている人がいて、話していると本当におもしろい。なにより、自分のやっていることに対して、“こだわりを持って、聞く耳を持っている”。この姿勢が、多くの物事に対する知識を広く深く吸収し、また、“知識は必ず変化する”という、柔軟に本物を識別することができる人間を、育てていっているのではないかと思う。

何でもいいから、一生懸命に、ひとつのことを追求していくと、世の中に存在するすべての物は、つながっていることを感じるという。

今回、消防ヘルメットコレクターのマンフレッド氏を紹介させていただいたが、彼曰く、「コレクションというのは、集めた数を競い合うだけがコレクターではない。文化を、歴史を、また、人生をお互いに語り合うひとつの共通項として、ヘルメットを通じ、どれだけふれあうことが出来るか?その切磋琢磨した研究心の軌跡がコレクションとして残っていくだけだ。」と熱く語ってくれた。

ドイツ系の人は、どうしてこんなに、カッコいいことを言ってのけるだろう。“本物”を追求する目を持った友人を、もっと増やしていきたい。いろんな人に逢って生きていくのは、非常におもしろいものだ。