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海の向こうの消防事情 ベルギー編
国際消防情報協会 企画調査員 神谷 早苗

歴史・習慣

ベルギーと聞いて、どんな国を想像できるだろう。国民の人口が約1000万で ECの本部があるところくらいの知識はあったが、これといった持ち味がなくあまり目立たないのがこの国の特徴ではないかと思ってしまうほど、何かひとつインパクトが薄い国だと感じた。

一度行ったことがある人でも、すぐに忘れてしまいそうで、たとえば人から「ベルギーってどんなところだった?」と聞かれても、「工場地帯と農耕地帯が極端に別れているところで、水平線上の遠くの町が良く見えるから、視力を回復したい人にとっては、いいところかもしれない。」ぐらいにしか、特別な事に関心がない限りは、非常に説明、また、紹介難い国である。

一昔前の、あるコーヒーのコマーシャルで、「ブリュッセルの朝は、コーヒーで始まる。」というのがあったが、首都のブリュッセル以外の街は、コーヒーでも飲まないとやってられないと言うくらい、のんびりとしたところが多い。

しかし、御存知のアウトバーン高速道路にのれば、フランス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルクに簡単に遊びに行ける。また、海を渡ればイギリスと、非常に便利の良いところに位置している。

私は、そんなベルギーの中間に位置する、トンガレン市消防局署長ジョセフ・ルドフッド氏の自宅に5日間も泊めていただき、“ベルギーロースト”という苦みの中にも、まろやかな香ばしさが鼻から抜けるような“アダルトのコーヒー”をいただきながら いろんなお話をお伺いすることができた。

まず、トンガレン消防局の管轄区域は、北のオランダ語系フラマン民族と南のフランス語系ワロン民族による“言語戦争”の中心位置にあり、車で10分ほど南へ行くとフランス語を標準語とする村、東へ10分行くとドイツ語村、北へ10分行くとオランダ語村がある。職員は、3カ国語が話せなければ、無線交信が出来ない!!指令課の職員は、もちろんの事である。しかし、彼らにとっては、生まれたときからそういう“多極共存型民主主義”の妥協と協調的環境に育っているので、特に難しいということはなく、自然に話せてしまうのだ。

たとえば、もし、トンガレン市中心部で大火災が発生し、いったいどの言葉を、無線交信時の共通語として話すのか?と聞いてみたところ、それぞれの隊が、それぞれの地域で使われている言葉で話し、特に統一はしないということであった。というのは、それぞれの職員が、3カ国語を同じレベルで話せ、また理解できるために、どの言葉を使っても問題はないと言うことであった。質問の後、彼の部屋にある無線受令機で、実際の無線交信を聞かせてもらった。

たまたま、プロテクション・シビルと呼ばれる、日本で言う自衛隊と消防との合同訓練中の無線を聞かせてもらったが、オランダ語とドイツ語、フランス語を話すそれぞれの職員が、あざやかに“言語能の芸術”と思わせるくらい、何の支障もなく無線交信を行っていた。

ヨーロッパには、こういう地域は至るところにあり、彼らにとってさほど珍しいことではない。日本語(博多弁)だけでしか無線交信したことない私にとっては、ヨーロッパの歴史から生まれてきた社会構成と、多民族共存生活の環境で生まれてきた、さまざまな必要性について、改めて感心させられた。また、同時に、日本の国際消防救助隊などの合同訓練においても、今や世界の共通語と言っても言い過ぎではない英語での無線交信の練習もする必要があるのではないか?とも思った。

せめて、日本の緊急援助隊が何らかのハプニングで2次災害にあったとき、各隊員が英語でその場所と状況くらい説明できるくらいは最低限必要ではないかと思う。もちろん、日本の国際救助隊員のなかにも、英語で無線交信できる方はおられると思うが、派遣された隊員のせめて80%が話せなければ、もし、派遣先で2次災害に遭い、“英語が話せる人が2次災害にあったから、助けを求めるのが遅くなったんです。”なんて言い訳をしないでもいいようにしたいものである。

“IRT-JF”と書かれた旗をぶら下げ、腕には英語で書かれたパッチも付けて、世界一立派な救助服も着ているのだから、現場において、最低限必要な英語くらいは使って緊急的な無線交信をできないと、あとあとマスコミの餌食になってしまう可能性もある。

それ以上に、隊員の救出が遅れ、悲惨な結果になることを想像すると問題なのではないかと思った。せめて、無線英語のヒアリングだけでもする機会があったら、いつか役に立つかもしれないとも思った。

もう一つ、パッチの話が出たついでに余計なことを付け加えると、現在多くの消防本部で腕章や帽子に、いわゆるワッペン、ちなみに英語でパッチというが、ローマ字を含めた英語を使って“・・F.D.”や“RESCUE”“PARAMEDIC”“AMBULANCE”など消防本部の名前やその業務内容をあらわしている。

私が福岡市消防本部に在職中に、143カ国の消防パッチコレクターと手紙でワッペンの交換をしていたとき、200人近くの様々な国のコレクター達から、ワッペンに書かれた英語について、「どうして、日本の消防局なのに英語でかいてあるの?」と聞かれたことがある。

彼らも彼らなりにいろんな想像をしており、“日本では英語を第二言語として使っているのではないか?”とか、なかには“英語が標準語なのか?”と聞いてくる職員もあった。わたしは、そう思われても仕方が無いなとは思うと同時に、大変返事に困った。

わたしなりにいろんな理由を考えてみたが、「ちょっと、カッコ付けてみたんです。」というのは、少し情けないし、「英語の方が刺繍糸をたくさん使わなくてもいいから、安くあがるんです。」なんていうのも、なるほどとは思わせるかもしれないが、経済大国日本の返事としてはセコいし、「国際化を目指しているんです。」といっても、日本以外の国で国際化なんて言っている国はないと言っても良いほど、その説明は難しく、また、私も“消防にとっての国際化”という意味が良く理解できず、具体的な例を挙げようと思い、消防の国際化という題名の付いた論文や本を読んだが、消防機械の国際規格のことや、国際救助隊、在日邦人の現場対応についてなど、普段一般に現場に働く職員にとっては、まだ必要性の薄い部分で説明して有るため、知ったか振りをして説明しても、また次の質問が難しくなるだけだろうと思った。

まさか、“職員のほとんどが英語が話せます。”なんて、見栄張りすぎるし、、と、ちょっと神経質すぎるかもしれないが、簡単に“ウソと見栄”を使って答えたくはなかったので、小さなことだが、たいへん返事に困った。また、日本の消防職員で、海外の消防職員と文通している職員は少なく、たかがワッペンで大げさなと思われる方も多いと思うが、私の返事ひとつが、「日本の消防局のワッペンになぜ英語が使われているのか?」を世界に代表して答えているような、妙な責任感も感じてしまい、小さな事だが、誤解を生みたくなかったので、一生懸命考えた。

結局、1、ファッション性、2、在日邦人に対するサイン的役割、3、海外との交流のひとつの接点として。と言う理由で説明をしたが、日本という国は、世界の多くの人々にとって、名は知られているが、まだまだ実際の中身を良く理解されていない国であるため、日本についての何に対する質問も、慎重に、かつ、ハッキリと応えるべきだと思っている。自分たちが他の国の文化を知っているからと思っても、相手がこちらを知っているとは限らないのである。

消防事情について

ヨーロッパのほとんどの国の消防士は、一般的にボランティアで成り立っており、ベルギーもその例のひとつである。ベルギーの多くのボランティア消防局の職員構成は、署長と管理監督職員だけが公務員で、その他は、地域住民で構成された職員である。

ボランティアとプロの差は、給料をもらっているか、もらっていないかだけで、教養課程も訓練内容も知識・技術もまったく変わりはない。この辺については、ヨーロッパに限らず、アメリカ・南アメリカ・オーストラリア・アフリカともほとんど同じであると言っても過言ではない。

もちろん、今まで連載の中で何度も述べたように、“社会環境から生まれてきた必要性”の違いであるため、わざわざ日本の現状を比べる必要はないが、前向きな、良い意味での日本の消防を活性化する意味においては、参考になることかもしれない。

さて、ベルギーには、プロテクション・シビル(直訳すると市民防衛隊)と呼ばれる組織があり、日本の環境でわかりやすく説明すると、“武器・兵器を持たない自衛隊組織”と理解していただけるとよいが、彼らの活躍も見逃せない。

どちらかというと彼らの組織の方が、日本の消防組織に非常に似た組織、業務内容を持ち合わせており、出動回数も意外と多い、というのは、大規模災害全般をはじめ、火災、小規模の交通事故や水難事故などの救助事案、救急事案まで、すべての災害に対応できるだけの装備と組織人員を持っているからである。

トンガレン市のプロテクション・シビルの基地には、消防ポンプ付きタンク車15台、救助工作車10台、救急車8台、5トンタンク積載大型給水車7台、その他20台近くの大型ブルトーザー、大型クレーンをはじめとする、さまざまな大型重機械工作車がある。

この基地に勤めるルドフッド氏の友人で、フランス人のジョルジュ氏に、この基地内を案内してもらったが、ジョルジュ氏は、なんと副署長としてプロテクション・シビルに勤務する一方、非番日にはボランティア消防隊の指揮者、また、別の公的救急組織では救急隊長として勤める、超多忙の“人命救助大好きおじさん”である。

彼は、休みの日には、ルドフッド氏とともにイギリスやドイツ、フランスに出掛け、消防施設を泊まり歩き、新しい技術や機械を研究し、その結果を、年2回のベルギーの救急救助学会などで発表するなど、55歳とは思えない頭の柔軟さと、軽いフットワークを持ち合わせた方である。

ジョルジュ氏の説明はフランス語で、私には理解できなかったため、ルドフッド氏に英語に訳してもらったが、とにかく芯からの“人命救助大好きおじさん”であるため、事細かに、また、深く広く、指揮者から観た災害コントロール理論や、警察、その他の関係機関とのチームワークについて、車両一台一台の機能、他の車両との組み合わせ、各隊員の役割まで、まったく休み無しに、やく4時間近く基地を歩き回り、やっと説明を終えた。

立ちっぱなしのため、腰は痛くなるわ、足は棒のようになるわで、基地内にあるカフェテリアのプラスチックの椅子に、やっとの思いで座ったときには、足が浮くように感じ、あらためて椅子のありがたさを感じた。そして、ホッと一息いれながら、ちょっと苦めのカカオマスが利いた真っ黒のチョコレートと、フレンチローストの香ばしいエスプレッソコーヒーを飲んだ。

1杯目を飲み干すとジョルジュ氏が、「今度は黒板を使っての、シビル・サービスの役割について説明しよう。」と真剣な顔で言ってきた。さすがに気が遠くなるのを感じ、ルドフッド氏の顔色をうかがいながら、「今日ではなく、また別の機会に、、。」と言ったところ、ジョルジュ氏は「冗談だよ。わしも疲れた。」と言って、3人で大笑いしたのを最後に基地を去った。

ルクセンブルク消防局

突然ではあるが、ルクセンブルクの消防局を紹介する。この国の正式名称はルクセンブルク大公国で、全人口は約37万人、現在のECの基礎となったベネルクス3国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)のひとつである。

国土の大半はアルデンヌという名の高原で、鉄鉱石が採れるため、鉄鋼業が盛んである。10世紀以来要塞都市として発展してきたため、今でも、当時の都市を完全に包囲した石造りの城壁のあとや、検閲門、古い監視塔などが残っている。

なんだか、社会科の教科書のような説明になったが、特にこれと言って、特筆することもない、平和な国である。

もちろんここにも消防局があり、人口8万人が住む首都のルクセンブルク市に本部がある。ここの消防局では、特に高速道路における交通事故、工場地帯で発生する労働災害に力を入れている。

変わった災害事例を聞いてみると、国全体が観光地であるため、観光客の“探検による事故”などが多いそうである。いったい“探検による事故”とは、どういう事故かというと、たとえば、古城の城壁を外側から登って、途中で降りれなくなった人の救出や、古城内にある立入禁止の抜け道に入り込み、帰ってこなくなった人の捜索などである。よそでは考えられない事故が起こるのがルクセンブルクの特色だといえるかもしれない。

ルクセンブルクには1泊しかできなかったため、あまり観光はできなかったが、個人的には、新婚旅行で行くとしたら、第1候補として挙げたいほど、大好きな国である。なぜかというと、環境が味わい深く、過去の歴史の時間をいまだに継承している貴重な雰囲気を持った国のひとつだと感じたからである。

特に田舎へ行くと、アルチェッテ川支流の小川がとてもきれいで、ロバートレッドフォードが監督した映画、「リバーランズ・スルー・イット」の中にでてくる、フライフィッシングのワンシーンに出てくる川のように、清流の流れる音の中に、思わず自分の体が溶け込んでいくような錯覚を得るほど、時間の母的な役割を持つ自然がそこにはあった。

おわりに

ブリュッセルの博物館には、江戸初期の日本の浮世絵がたくさん所蔵してある。海外への浮世絵が渡ったのは長崎が日本唯一の海外に開いた港であった時代、オランダ船によってヨーロッパに運ばれたのが最初であった。明治維新後、浮世絵が大量にヨーロッパに流れ出たが、コレクターの手によって大切に育てられてきたため、今では日本国内では手に入らないような珍しい物がたくさんある。

ブリュッセル博物館には、昔の火消しが書かれた錦絵の纏絵、火消し絵もたくさん保存されており、入れ墨の発祥が火消しから始まった事を御存知の方も多いと思うが、この火消しの入れ墨が見事な色彩のまま残されている浮世絵がブリュッセル博物館にディスプレイされていた。

世界を旅することで、日本国内にいたとき以上に、自分の育った国の歴史を感じることが出来る。日本では、木造文化であったためか、ヨーロッパの石の文化に比べると、非常に文化財の保存が非常に難しい。また、よく“何々跡”と書かれた立て札だけが残っていて、その場所には全面鏡張りのオフィスビルが建っている。せめて今残っているものだけでも、大切に残していきたいものである。

今年から、火消し浮世絵のコレクションを始めようかと思っている。自分の出来る範囲で、自分の生業とするものの歴史を残していきたい。ひとりの消防の世界を愛する者として、そして日本人として。