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カナダ・バンクーバー市消防局編
国際消防情報協会 企画調査員 神谷 早苗

歴史・習慣

カナダと言えば国の面積が旧ソ連に次ぐ世界第2位の国であるが人口は2800万人弱と少ない。そのためか統計上の数字では人間開発指数(HDI)が世界第1位の国である。しかし、カナダの経済状況は厳しく、アメリカとメキシコとの3カ国にわたる経済的国境を実質上撤廃し、自由貿易圏を拡大しようと努力している。もし完全に撤廃されればECを上回る世界最大規模の経済圏が期待できるが、その実現のためにカナダは北米国家として進んでいくという、歴史的選択を行わなければならなかった。

カナダ国は今や「連邦解体の危機」がもう何年も前から叫ばれ、ケベック州に住むフランス系カナダ人による民族紛争が発端とする国の崩壊が懸念されている。外から見ると西側先進国として安定しているように見えるが、旧ソ連の二の舞を踏まぬように、これからの連邦体制をどう維持していくかが、今後の大きな課題のひとつになっている。

いろいろな国を歩いてみて感じることだが、世界中で起こっている民族問題の最大のネックとなるのは「言語の違いからくる共存意識の不足」にあるのではなかろうか?もちろん宗教や血縁についても、同じグループに属するという帰属心から発達した“同じ考えを持つ人間の集団性”という視点からみれば民族問題について整理して説明できそうな気もするが、宗教について言えば同じ宗教を持ちながらも、民族が違う例などはいくらでもある。血縁についても白人と黒人による人種問題でおわかりのように、なるべく今までの家系の歴史を崩したくないという意識のもとに混血を避けようとするが、多民族国家社会の中では、もう血縁について、そんなにこだわっている人も少なくなってきている。

アメリカのように民族問題が自然に“潜在化”していけば、もう自と他を区別することもなく、まるでサラダボウルのなかでそれぞれの野菜がもとの形や色を保持しながら、全体に調和がとれたサラダ(アメリカ民族)になるという、平等で多様な文化の共存という文化多元主義の思想に基づいた社会環境になれば、民族紛争もいい加減に疲れてきて麻痺されるであろうが、純粋なカナダ人の多くにとっては、なかなかそう簡単に事は運びそうにもない。

現在カナダ人の多くは、アメリカ文化、および、アメリカ社会に従う意識を見せたカナダ国家に対する反発から起こるストレスと、東カナダにあるケベック州の国としての独立を目指す民族問題で頭を痛めている状態である。そこへいくと日本は、本州住民と北方アイヌ民族と沖縄を中心とする南西諸島住民の三者を日本民族とするという差異を指摘することもできるが、明治以来の中央政権と強力な公的教育による同一文字と標準語の普及で、日本人を一色に塗りつぶすような“国民の均質化”が行われたこともあり、方言の違いはあっても、標準語と方言語という二言語制があるため、同じ日本人同士で意志疎通が不可能ということはない。こういった意志疎通のためのコミュニケーション方法および環境が単純であると地域共存意識を簡単に生むことができる。

日本以外の国で暮らしてみるとわかるが、七世紀(645年)の仏教興隆の詔から明治維新までに築き上げられた、大乗仏教的な仏教倫理が根底となっている“日本の常識(社会通念)”をこれからも多少は変化させながらも守っていく大切さをつくづく感じる。また、先祖が守ってきてくれた、単一に近い民族である歴史をありがたく思う必要があると私は思う。

私自身は特に、日本や日本人にこだわる右翼的思想などは持たないが、日本人として「日本人とは何か」という興味を持ちながら、自分なりに学術研究を趣味にしているため、少々、日本人軸で見たものの見方をしていると言われても仕方がないかもしれないが、アメリカに住んでいると“日本民族の優秀性”を至るところで感じる。それは私自身の中にある日本人のルーツやアイデンティティの感心から来るもので、かつての明治維新や第2次世界大戦のときに、すでにアメリカに住んでいた日本人と同様に、自分の住むアメリカ社会での様々な悪い出来事が、アメリカ人をいまだに異邦人として強く意識しながら、自己の優越的なアイデンティティを確立していったためであろう。

しかし、あまり日本人指向を軸とした偏った考えは、これからもしばらくはアメリカに住むであろう自分の首を絞めることになることはわかっている。そのため、自分の心の中では70%が自分は日本人であるという誇りと、30%はアメリカ社会に生活基盤を持つ、異邦人であるという共存心をバランス良く保って行く必要があるといつも思っている。ケベックの民族問題の話から私の個人的な日本人観にまで話が広がってしまったが、いま地方分権への圧力が強まる日本社会において、これからは日本人の在り方も「地域人の複合」へと変わって行くであろう。

少々深くて堅い話になってしまったが、みなさんも暇なときに少しだけまじめに「自分という日本人の在り方」を考えてみては如何だろうか?地域人として社会を構成する一個人として、今の内から自分の考えをある程度準備し、整理していたほうが、あとあと社会の急激な変化からくるストレスがたまらなくて良いかもしれない。このまま、多くの日本人の方がいつまでも多様性と均質化の中で揺れていては、日本の将来がいつまで経ってもスッキリとせず見通しが利かず心配な気がする。

消防事情

さて、前段で少し話が深く入りすぎたようなのでもう少し身近な話題を紹介する。バンクーバーに行かれた方は御存知だと思うが、バンクーバー市はアメリカ・ワシントン州のシアトルと並んで第2のハリウッドと言われるほど映画の撮影現場として有名である。

ダウンタウンを歩くと街中に映画のセットが立ち並び、有名な俳優や女優が化粧直しをするメイクさんやスタイリストに身を任せ、出番を待つ光景に出逢う。スタッフは多いときには50人を越える。通行人役まで入れると100人近くにもなる。

バンクーバー市消防局に勤務するエドワードさんは、“飛び込み屋のエド”と呼ばれ、通行人役でも何でもないのに勝手にエキストラの中に飛び込みで紛れ込み、ちゃっかり映画に出演してしまうという趣味を持っている。今までに出演した映画は7本、いずれも長くて3秒程度のちゃっかり出演だが、映画がビデオ発売されるたびに買ってきては、自分の出てくるシーンを何度も巻き戻して出演の仕方を研究し、次回への参考にしているらしい。

さて、そんな芸術性のある人口45万人に満たないこじんまりとした港湾都市を守るバンクーバー市消防局は、市民議会の女性議員からの要望で、男女平等を頭においた公的組織における名称の変更計画にもとずき、従来、消防長は普通ファイアー・チーフと呼んでいたが、「ファイアー・チーフでは、その響きから男性像しか想像できない!」と指摘され今年1月から、ジェネラル・マネージャー(総括管理者)と呼ぶことになった。

もちろん全階級の呼称が変わったのだが、隊員の間では、「くすぐったくてジェネラル・マネージャーなんて呼べませんよ。たったひとりの女性議員の男女平等にたいする意見でここまで変えるなんて、どうかしているんじゃないの?」また「そんなのおかしいよ!!今まで俺たちが慣れ親しんだ慣習を、職員の意識調査も行わずに勝手に変更するなんて、そんなことをするから男女の区別意識から差別意識に発展してしまうんだ。」と不満が爆発していた。

実際、バンクーバー市消防局に勤務する女性消防職員は少ない。市条例で各行政機関に女性職員を最低1人採用することとされているが、なかなか女性消防職員の成り手は少ないらしい。男女雇用均等制もさることながら、人種差別廃止運動に関連するものと思うが「異邦人に対する雇用機会均等法」もあり、カナダでは海外からも消防士を募集している。

私は6年前に、フライフィッシングが毎非番できるのではないか!というとても浅はかな理由で、カナダで消防士になることを夢に抱き、カナダ大使館に資料を請求したところ“消防士5人募集”という案内を見つけ早速必要事項を記入し、一次審査を通過し、二次の面接段階まで行く一歩手前で実際現地視察に行ってみたくなり、ワクワクウキウキ状態で西カナダのバンクーバーと東カナダのトロントに10日間下見旅行に行った。ところが一番気に入ったバンクーバーでは、その年は残念ながら採用しておらず、そのほかの都市の雪の多さと、とんでもない寒さで燃えていた心が完全に冷やされてしまった。日本でも、北海道や東北出身の方なら堪えられるかもしれないが、九州出身の私にはとても堪えることの出来ない寒さだった。

カナダでは若者のアメリカへの移住が深刻な問題になっており、海外からの若者の入国を期待している。興味のある方は日本にあるカナダ大使館へ「公的機関のリクルートに関する資料」を請求すると募集人員を教えてくれる。しかし、もし書類審査も面接も通過し、採用通知が手に入ったとしても、今勤務している消防局を突然辞めるなどという早まることはなさらないように!もちろん私みたいな単純頭脳を持っている方は少ないと思うが、必ず一年から三年の休職という布石を残しておいて、まずはカナダの消防生活を体験してから退職を決意されることをお勧めします。カナダ以外でも海外での消防士の成り方についてもっと詳しくお知りになりたい方は私にご連絡下さい。いつでもご相談に応じます。

おわりに

近頃カナダおよびアメリカ社会において、日本の仏教教典のなかでも知名度ナンバーワンである「般若心経」の教えを異宗教という響きを臭わせないままに、何とか普及できないものだろうかと研究しているグループがある。しかし、権利意識が強く理屈者の多いアメリカ社会で、どう展開させていくのか楽しみなところである。

もう何年も前からではあるが、アメリカは“スーイング・シンドローム社会”と呼ばれ人々の権利意識が肥大しすぎて、自分に責任があるような事柄まで「すべて他人が悪い!!」と他人に責任を求め、賠償を要求する傾向がますます強くなっている。アメリカ社会のなかでは日本の常識では考えられないような訴訟事例が山ほどある。例を挙げていえば、ある25歳の青年が「自分は精神分析医に一生通わなければならないほどのノイローゼであるが、こうなったのも両親の育て方が悪かったためであり、それは両親の“業務上過失”にほかならない。両親に自分に対してその過去の責任を賠償すべきである」として両親を相手取り50万ドル(約5千万円)の訴訟を起こしたと言う話がある。

またバージニア州の19歳の女性は両親に連れられて別荘に遊びに行き、別荘近くの船着き場で泳ごうとして飛び込み、ケガをした。これは「このあたりは水深が浅いから気をつけるように」と注意を与えなかった両親の責任だとして、両親に対してなんと700万ドル、日本円にして7億円もの請求を起こしたという。

さらにアル中になったサラリーマンが、これは社用接待が多かった業務のせいだからといって社長相手に百十万ドル、約1億1千万円の訴訟を起こした例もある。

ますますエスカレートしていく訴訟狂ぶりは、今や誰にも止めようがない。こういった外来移民の歴史を持ち、ごった煮の中での公平性を常に意識してきたアメリカ文化、および、アメリカ社会に従う意識を見せた、カナダ国家に対するカナダ国民の不安がわかるような気がする。

アメリカ全土なる各市当局を訴える損害賠償は、1日平均2500件。賠償額はアメリカ国家予算の2倍以上に膨れ上がっているといわれている。そのため、各市当局は平均50人以上の常勤弁護士を雇って防戦している。精神病学では被害妄想の一種として「好訴妄想」といわれているが、ほんのちょっとしたことでも自己の権利が著しく侵害されたと思いこんで、裁判ざたに持ち込む。このような考えを持つ人々に大乗仏教の教えの核心である般若心経の「空(くう)」すなわち「いろいろなものを差別するな」、「たとえ差別をしたとしてもその差別にこだわるな」もう少しわかりやすく説明するとたとえば、料理がお皿にのっている間はちっとも汚くなんかないのに、それが流しに捨てられただけで簡単に汚くなるわけである。料理が存在する場所が違っただけで、あるいは料理が食べ残されて無用だと判断された段階で、“ゴミ”という名前が付いただけで急に汚くなるわけである。ここで良く考えてみると料理そのものは変わっていない。変わったのは“こちらの心”なのである。「般若心経」がいう「空」はそういう意味で料理は「空」であって、それを汚くしているのは私たちの心であると教えている。私たちが心の中で汚くした“もの”にこだわっていたのである。そのような“こだわり”を辞めよというのが「空」の教えである。

ようするに誰かが得をしていて自分が損をしているとか、他人は金持ちで自分は貧乏であるとか、あれはきれいだとか汚いなどといった自と他の差別をはじめると、あるがままの“もの”の存在が愛せなくなってしまう。そんな馬鹿な考え方をしては行けない!と「般若心経」は教えてくれている。果たして理屈者の多いアメリカ人に対してどこまで理解でき普及するやら想像も付かないが、たとえ仏教としての信仰はしなくとも、こういうものの考え方が出来るようになると住み易い国になるのだがといつも考えさせられる。